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ダイヤが超〜希少なイシだったのはちょっとだけ昔のこと。
今は採掘技術の進歩により、ダイヤは鉱物としての価値も、宝石としての価値も本来なら供給がダブついて値が下がってしまっている状態だそうです。「希少さ」なら他の色石宝石の方がずっとレアで高価なものがたくさんあるですネ。
しかし、ダイヤは世界の1企業により流通が調節され、常に高い安定した価格と共に高度な加工技術が保たれるよう努力されています。
価格や流通が厳しくコントロールされているのは「金(きん)」も同じですが、こういうちょっとズルそうなシンジケート的な現象が成立し続いているのも、その2者(金やダイヤ)が特に「人々を魅了する絶対的な何か」をもっているからなのでしょうネ。
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大銀行や資本家さんなどは「きんののべぼう」を確保したがるのはなぜでしょう?なぜ金なのでしょ??
金の値段がコントロールされ、お金よりも安定した「世界経済の基本」となっているからですネ。「なぜ金」かといえば、金は、幅広い人を虜にするチカラをもっているからだと云われます。単純に「人類の絶対的な金への憧れのキモチ」を信用したものなんですって。
特に金は歴史も長く、紀元前から世界中で人類の本能に訴えかける魅力(輝き、色、目の当たりにしてわくわくしちゃうキモチ等)を持っているですネ。宝石の王様ダイヤの魅力(比類なき硬さ・輝き・権力や敬意の象徴・わくわく感等)も金に匹敵する特別な存在なのかもしれません。
「貯蓄を、きんに変えて当銀行に預けませんか?」といわれると怪しい感じがしますが、実際の世界経済の基本は、このような
単純なワクワクなキモチが作り出した『金の延べ棒をベースにした仕組み』の中で、私たちはすでに長いこと生きてるです。
世界中の銀行が、鉱物の魅力さまさま デス。
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物に溢れた現代でスピリチュアルなものや、いろんなタイプの石さんにも興味シンシンな私たちですが、
「よくわからないけどみんなが憧れるものも手に入れたいわ」という単純なキモチも、実は様々な形で誰もが持つ、人の「安定して繁栄したい」という健全な欲求や喜びの一つかな?とも感じます。
特に定住型の日本人は四季と共に安定と様式美を尊重し、様々な分野で栄えてきたですので、そのような
「コレクション癖」もそうですが「変化を少なくして生き残るための価値観のクセ」が立派に根付いてるですネ。
こんなかんじでとりあえず、「信じられるのは金だけ」「借金で◯◯買っちゃった」「よさはわからないけどブランド大好き」等と公言しますと、なぜか現代の日本では一般常識的には、物欲やら、センスやら批判されちゃいそうですが、逆にその方は社会的な生命力の強い人とも言えるわけです。それを批判や嫉妬する側も、同じ階級の者同士が生命力を競い合う本能からという部分も多いでしょう。
しかし、物理的に+精神的にも「雅(みやび・graceful)
」であったと評される時代には、各国で各自、様々な価値観があったとしても、金や宝飾品にたいして人々はもっと素直に接したり、夢をあたえた使用方法な、嫌み批判の少ないわくわくできる存在や構造が多かった気がします。見せびらかす方も、見る方も。そのような構造が義務としてあったり。
それには階級や、誇りある・聖なる職や場所、ココロから敬うべき存在の人などが今よりも多くあったからなのかな?とも思います。
いろいろと平等な社会で、偉いはずの人がなかなか尊敬されない状態の増えた現代では、絶対的な魅力の宝飾品たちもちょっとかわいそうな時代かもしれないですネ。...そう考えるとデビアス社の、世界中の庶民の婚約指輪やスイートテンにダイヤをすすめる給料3ヶ月分のイマイチなCMが、戦略でありつつも、なんだか素直で微笑ましくも感じられます。敬愛する小さな2人の社会の中の雅なのかもしれません。
家庭は社会の縮図で、社会も家庭の縮図だといわれますが、私たちの時代や地域は後にどんなふうに、評価されるのでしょうネ!?おろおろ
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